# 27《 ドイツ・スイス・パリ游(その4・2)》
                                      
                                                             2007.08.18
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(その4・2)花の都・巴里

* * * セーヌ川遊覧 * * *

夕食の後、エッフェル塔の近くの乗り場からセーヌ川観光の遊覧船に乗った。
この日の日没は10時頃なので、黄昏のクルージングにしては日はまだ高く、日差しも強くて暑かった。
船は200人以上は乗れる大型の船である、乗客は地方からでてきた思われる高校生の集団が船の中央の座席を占めていたが、船側の座席には老若男女のカップルが多く見られた。船が動き出すと映画『パリの空の下セーヌは流れる』の主題歌:シャンソン『パリの空の下』が流れてきて、それなりにムードが出てきた。
家内は、隣の私と話すことも無く、ウットリして川岸の風景を眺めていた。きっと隣にいるのは、イブモンタンか、アランドロンか、ジャンペールベルモントか、あるいはジャン・ギャバン(ま、これはないか)と想像しながら、対岸の風景を眺めているのかもしれないと思った。
そこで私も、隣の人は往年のフランス女優のBB,ミレーヌ・ドモンジョ、カトリーヌ・ド・ヌーブなどを想像しながら、座席についているイヤーホーンガイドに耳を当てて、対岸の流れるように移り変わる風景を眺めることにした。

ノートルダム寺院:しばらく、オルセー美術館、ルーヴル美術館などの有名な建物を見たあと、サン・ルイ島で船が引き返して上流に向かった。その途中のシテ島の川岸にノートルダム寺院が見えてきた。イヤホーンから流れてくる日本語のガイドは、その歴史や寺院の建築様式がゴチック様式であることなどを告げていたが、私は、ビクトルユーゴ原作の映画『ノートルダムのせむし男』(1956)を先に思い浮かべた。
鐘つきのせむし男は、アンソニークインが演じ、ジプシー女はイタリア女優のジーナ・ロロブリジータが演じていた。ジーナ・ロロブリジータは持って生まれた美貌に加えて手足が長く、そして“胸”が大きく、“セクシー”そのものといった女優で、私はバートランカスターと共演した『空中ブランコ』で彼女を初めて見てから、そのスタイルの良さに見とれてファンになった。この『ノートルダムのせむし男』の映画を見ていたときは、この物語りの筋より、いまにも服からこぼれそうな彼女の胸ばかりを、追って観ていたような気がする。

コンシェルジュリ:続いてコンシェルジュリが見てきた。これはマリー・リーアントワネットが断頭台で処刑されるまでの、2ヶ月半過ごしたところである。写真の左側のタワーに独房がある。このあたりのことは、遠藤周作の小説「王妃・マリー・アントワネット」に分かり易く記載されている。
この遠藤周作の小説は、マリー・アントワネットが華々しくヴェルサイユで過ごした19年間よりも、ヴェルサイユを追い出される前後からの激動の数年間について、ページの半数を割いて面白く描かれているが、作家からみても、彼女の題材(モチーフ)としての価値は後半の激動の数年間にあるのかもしれない。
マリー・アントワネットは14歳でオーストリアから嫁いで、37歳の若さで断頭台の露と消えるという波乱に満ちた生涯をおくった。ヴェルサイユを追い出されてからも、その気になれば逃亡のチャンスは幾度とありながら機を逸して逃亡に失敗する。が、もし逃亡に成功し、幸せな亡命生活の中で余命を全うしていたら、単に外国から嫁いできた大浪費家の女性ということで、これほど歴史に名を留めることは無かったであろうと思う。
酷な言い方をすれば、広大なヴェルサイユ宮殿で贅沢の限りをつくした生活をし、そしてこのコンシェルジュリの薄暗い部屋に閉じ込められて、最後には屈辱的な肥桶車に乗せられて、断頭台の露に消えるという、悲劇的で波乱万丈に富んだ生涯であったことが、彼女をして歴史上の著名な人物(ヒロイン)の中に名を留め、あるいは書物や演劇での“主人公”として多く取り上げられていると、言えるのかもしれない。

コンシェルジュリを前にしてマリー・アントワネットのことを、いろいろ思いをはせていると、いつの間にか、エッフェル塔近くの船着場に到着した。
時刻は午後9時少し前であるが、まだ日は落ちておらず、暑かった。
 

(その4.2完)

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