# 20 《 吉野の千本桜 》
                                      
                                                             2007.04.22
                                                   (写真をクリックすると拡大)

今年の冬は記録的に暖かい日が続き、当地(神戸)の桜の開花は、3月下旬頃に満開となり4月始めの入学式の頃には散っているだろうと言うのが大方の予想であったが、3月になってから急に冷え込み、いつものように4月になってから開花した。やはり桜というものは、冬場の気温はどうであれ、卯月の声を聞いてから開花するようにプログラムされているようである。
さて、桜が満開になると、人々は花を鑑賞したり、その下で弁当を広げ酒を飲み交わしたりして、春の到来を楽しむが、戦前から戦後にかけて活躍した異才の作家の坂口安吾は、満開の桜の木の下は人を狂わせるような妖気が漂よっていて恐ろしく、決して酒を飲んだりして楽しむところではないと言っている。そして、彼はそれを女の妖気にたとえて『桜の森の満開の下』という小説を書いた。

そのあらすじは、
昔、鈴鹿峠の桜の森に山賊が住んでいた。 山賊は桜が満開のおり、そこを通りかけた若い男女を襲った。女は非常に美しかったので、男を殺して女を自分のものにする。すると次第に山賊はその女の言いなりになり、都に出て女の求めに応じて窃盗や人を殺しては生首を集めるようになる。やがてその都にも飽きて再び女を背負い、桜が満開の頃、鈴鹿峠の森に戻り、桜の木の下で背負った女をみると鬼女になっていた。
という、どろどろとした恐ろしい内容の物語である。

この小説は映画監督の篠田正浩によって、若山富三郎と岩下志麻主演で映画化された。小説の舞台は鈴鹿峠であるが、吉野に舞台を移して撮影された。その理由について篠田監督は、先ず桜の木は、我々が一般に目にする“染井吉野”ではなく“山桜”であることが前提であり、加えて森のように桜の木が多いほど迫力があり、妖気がそれだけ多く漂っていると思えるので、山桜が森のように多い吉野を選んだとのことである。
吉野は下千本、中千本、上千本、奥千本というように、纏まって森のように桜の木があり、一目千本であるから、下、中、上、奥毎に千倍ものパワーの妖気が漂っていることになる。さらに下から奥まで順に開花するので長い間妖気が漂っていることにもなる。桜の季節の吉野は正に妖気だらけの森といえる。
 

* * 吉野へ妖気体験ツアー * *

であるから、私は吉野の桜といえば坂口安吾のこの小説を思い出し、以前よりここの桜を一度見たいと思っていた。
今年は幸いなことに、家内が随分前に旅行社が募集している吉野桜のバスツアーに申し込んでいたため、4月中旬に吉野の桜を見る機会を得た。
これが初めての吉野行きである。わたしは、坂口安吾が体験したその妖気はいかがなものか、これにあたると“男は女の意のままになる”という妖気とはいかがなものかを体験するため、わくわくぞくぞくしながら家内についていった。
朝9時、地下鉄学園都市駅からバス3台仕立てて出発。旅行社は、この日に阪神間だけで17台を仕立てているとのことで、現地では各地から集まるバスの数はかなりのものであることが予想された。

* * 下千本桜 * *

丁度12時に下千本近くの駐車場に到着。大きな駐車場には数えきれないほどのバスが駐車していた。 バスを降り、ここから3時間半の自由行動になった。
先ず下千本の桜から花見をすることにした。ここの桜は、すでに盛りを過ぎていたが、山桜特有の赤茶色の新芽と残っている白色の花びらが混じって、山全体が薄赤色に染まっていた。また、時折吹いてくる風で、白い花びらが森の中を舞い散り、なかなかの風情であった。
この桜の下で配られた弁当を食べ昼食になった。
 

* * * ありがた迷惑の大名行列 * * *

金剛峰寺を見てから中千本に向かおうと思っていたら、突然、警察官と係員が出てきて、中千本に行く路が通行止めとなった。この日は特別の催物として大名行列があり、それが通過するまで通行止めにするというのである。中千本に行く路は山の稜線にあって両脇には茶店や土産店があり、非常に狭く、迂回路もない。

ここに来ている殆どの観光客は花見を目的としてきている花見客と思うのだが、見たくもない行列を一方的に見さされる羽目になった。
行列は、両脇の見物客からの「花を見る時間がない!」「早く通せ!」「バスの時間に間に合わない!」などの声が飛び交い皆がイライラしている中を、ユックリ ユックリと通過していった。とくに先頭の槍持ちの奴(やっこ)は蟹のように足をあげて横移動するだけで、前方向には一向に進まないので余計にイライラした。結局、行列といっても奴と、稚児、僧侶、修行者、大きな大名籠(この様式の籠は、格式の高い大名が乗るものとの説明があったが…)のみで、たいしたものではなかった。 一番混む時期になんでこんなものをやるのかと、主催者側の見識を疑った。
 

お陰で40分近くも足止めされた。解除後も、中千本に向かうものと、逆に中千本からバスの時間に遅れないように急ぐ者とで交差し、狭い路がまるで縁日のようにごったがえしていた。

これで、小一時間程度、貴重な花見をする時間を無駄にした。 結局このため、奥千本にある“花といえば西行”というぐらい花好きの西行法師の庵跡に行くことができなかった。

* * * 上千本桜 * * *

中千本をへて上千本に向かった。登るには結構きつそうな急斜面に山桜が林立して植えられており、桜は丁度見頃であった。
説明書によると、この吉野の桜の森は、何百年も前から修行者が山桜を献木するという形で植えられて、今日の森を成したとのことであり、ここの上千本にも相当年月を重ねた古い桜の木が多く見受けられた。
また、この森にいて桜をみると、山桜特有の樹形として、幹と枝が真っ直ぐに高く伸びるせいか、下をみると林の中にいるようであり、上を見上げると隣の桜の木々の小枝が、高いところで重なり、空を覆いかぶさるように桜が咲いていた。
ここで、しばらくバスの待ち合わせの時間を気にしながら散策を続けた。

 

☆ ☆ 満開の桜の木の下で ☆ ☆

この上千本で、人通りの少ないところに大きな幹の山桜の木を見つけて、その下から桜を見上げてみると、青空を背景に高い位置の小枝に満開の桜の花がぎっしりとついていた。

私は、この大木の前で下で、坂口安吾のように顔をあげて目をつぶり、手を前に出し祈るように合わせて、彼が体験した妖気はどんなものかを、ぞくぞくしながら待っていた。
すると、
背中の方から、ただならぬ気配が近づいてくるのを感じた。これがひょっとしたらあの妖気、すなわち、これにあたると“男は女の意のままになる”という妖気かもしれない、しかもものすごいパワーである。体全体がゾ〜としてきた。
そして、
貴方!ここで何しているのよ!
“おしっこ”は、あそこのトイレでして頂戴!

            戻る